身心一如の飛翔

東洋的身心論序章

 

 「身心一如の飛翔―東洋的身心論序章―」は、四十代半ばを過ぎて医療関係の取材や編集の仕事が主になってきたころ、かつて夢中になった仏教や東洋思想に後ろ髪を引かれつつ書いたものである。

 私は三十代半ば近くまで定職にも就かず、無為放埒な日々を送った。そのころ夢遊病者のように心を奪われ、思いを寄せた世界が仏教であり、老荘・神仙思想だった。その後、遅れて家住期を過ごすことになり、遊行期に至る道から大きく外れたままだ。

 しかし、いま再び祇園精舎の鐘の声を聞くことが多くなってきた。かねて心を熱くした大乗仏教の壮大な世界観や精緻な哲学より、釈尊その人の穏やかな語りが聞こえてくるのはどうしたことであろうか。いずれ諸行無常の響きを、もっと近くに聴きにいこうと思っている。
(2009年6月29日)

 

  竜に乗って天降る仙人(漢画像石『金石索』)  
     
竜に乗って天降る仙人(漢画像石『金石索』)
 

 


 

身心一如の飛翔

東洋的身心論序章

 

身心一如の医学

 最初は小さな点のような存在が、しだいに近づいてきて、猛スピードで急斜面を駆け抜け、鳥のように空に舞い上がる――。

 長野オリンピックでは、日本人の活躍が期待されたスキーのジャンプ競技に熱い視線が集まった。新聞やテレビの報道で、「鳥人」「羽がはえたように」といった表現を目にし、耳にした。人間の肉体が大地と空の間に描いた放物線は、つかのまの美しい軌跡だ。

 しかし、現実に、人には翼がない。飛翔どころか、うごめき、はいずり回るような毎日ではないか。

 祝祭が終われば日常生活に戻る、ハレの日が過ぎれば生活の糧を得るためにあくせくしなければならないことを知っている大人は、それもいたしかたない。だが、子供たちの身辺に羽の一毛もないように見えるのはどうしたことか。

 昨年あたりから、子供たちの痛ましい事件があいついでいる。心を閉ざし、ナイフで武装しなければならないとは……。

 いま、中学や高校では、保健室がにぎわいを見せているそうだ。とくに症状が出ていなくても、学校に居場所のない生徒にとって、「駆け込み寺」の役割を果たしているという。

 従来、学校に適応できない生徒がからだの異常を訴えるケースは少なくない。学校に行こうとすれば、吐き気や下痢を催したり、頭痛、ぜんそく、呼吸困難などに陥ってしまう。学校不適応児や思春期病の問題は、心療内科、心身医学の重要なテーマである。

 病気についての心身相関のメカニズムの解明は、まだまだ今後の研究に期待しなければならない。現時点で心身医学的治療の対象となっているのは、発病と経過に心因の影響が認められるものと、身体因によって発症したものでも、その後の精神的な問題が症状の悪化、長期化をもたらしたり、心理面からの治療を加えることによって病状の好転につながる場合などである。

 日本の医療現場に心療内科を根づかせるために、この分野の研究・治療の第一線に立ってきた池見酉次郎は、東洋的な身心一如、物心一如の知恵こそ、真に人間的な医療としての心身医学の根本的な理念であるという。自己実現と自己コントロールを可能にする物心一如の科学の中核をなすものは、心身医学すなわち身心一如の医学であると位置づけている。

 

からだの痛みと心の痛み

 心とからだ、心と病気の結びつきを如実に示すのは、心身医学に限らない。たとえば、ターミナルケアの現場では、それがより切実に現れる。不安、苛立ち、怒り、孤独感などは痛みを増強させるが、逆に、安らかな心や十分なコミュニケーションは、痛みを軽減する。からだの要因と心の要因が複雑にからみあっている痛みは、身体的な治療だけでは解決せず、精神的なケアが痛みの治療全体の重要な部分を占める。

 仕事の引き継ぎのことでいらいらしていた末期がん患者が、強い痛みを訴え、モルヒネを投与されたが、あまり効果がなかった。上司の計らいで引き継ぎがスムーズにいくと、モルヒネの量は変わらないにもかかわらず、痛みが軽減した。これは、社会的な要因が身体的な痛みに密接に関係するとして、ホスピス医の柏木哲夫が挙げている例である。

 一九八一年以来、日本人の死因の第一位はがんであり、通常、末期に激しい痛みを伴う。日本人の四人に一人ががんで死を迎えている。その最期が、苦悩の多い人生を象徴するように、苦痛に満ちたものであってよいはずがない。

 近年、がんの痛みの緩和医療は著しい進歩がみられ、末期の痛みも大幅にコントロールできるようになった。薬物療法と並んで、ターミナルケアの方法も少しずつ改善されてきている。なかでも、痛みの身体的な側面だけでなく、精神的、社会的な面、さらにスピリチュアルな面も考慮に入れて、痛みを理解しようとするトータルペイン(全人的痛み)の考え方が広がってきたことは大きい。

 不安や恐れ、孤独感などの精神的(心理的)痛み。経済的な問題、仕事や家族の問題など、人間関係に付随する社会的な痛み。死の恐怖、罪の意識、生きることや苦しむことの意味などにかかわる宗教的な、スピリチュアルな(魂の)痛み。身体的な痛みにこれらの要素が加わって末期患者は悩み苦しむ。トータルなケアが望まれるわけである。

 その一方、トータルペインを強調するあまり、身体的な痛みの治療をおろそかにしたり、薬物療法の不十分さが許容されるのを危惧する向きもある。

 柏木自身、近代ホスピスの母と呼ばれるシシリー・ソンダースの次のような話を紹介している。イギリスに研修に来ていた彼が精神科医で熱心なクリスチャンと知って、こう言ったそうだ。

 もし私ががんの末期になって痛みに苦しんでいるとき、まず望むのは、ベテランの精神科医がベットサイドに来て、心の悩みに耳を傾けてくれることではない。また、敬虔で親切な牧師がやって来て、一緒にお祈りをしてくれることでもない。自分が望むのは、この痛みがどこから来ているかを的確に判断して、痛みを止めるための処方をできるだけ早く出してくれて、その処方に基づいた治療を受けて痛みから解放されることだ。

 このソンダース女史の話は、大昔のある説話を思い出させる。

 毒矢がからだに刺さったとき、しなくてはならないことは何か。これはどこから飛んできたか、誰が射たものか、矢はどんな矢か、弓はどんな弓か、そんなことを詮索しているうちに死んでしまうだろう。大切なことは、まず毒矢を抜いて傷の手当てをすることだ。

 これは、死後の世界の存在を肯定も否定もせず、沈黙を守って答えなかった釈迦が、なぜ教えを求める人に道を説こうとしないのかと問いつめられたときの答えとされる。死後の霊魂は存在するか、しないか、世界は無限であるか、有限であるかといった形而上的な問いに対して、「ブッタの沈黙」の意味するところが語られている。

  釈迦は実践を伴わない思弁的推論を退けた。生きていくうえで本当の力となるのは、体験に基づいた真理である。

  釈迦の教えは東アジア一帯に種をまかれ、修行して衆生済度に向う菩薩の思想を芽吹かせた。とりわけ論理の精緻さよりも経験を重んじる中国民族のなかに、大乗仏教の新しい枝を茂らせた。

 

儒教社会を揺るがした外来の仏教

 中国に仏教が伝来した当初、その教説よりも何よりも、それを伝えた西域僧の姿恰好に好奇の目が集まったようだ。髪を剃ってつるつるの頭には、冠もなく、衣服とはいえない布を身に巻きつけ、右肩を露出した比丘姿である。

 中国は礼の国であり、冠婚葬祭、衣食住の日常一切が『礼記』に規定されているとおりでなければならない。中国人士には、この異様な出家者たちが恥ずべき野蛮人に見えたことは想像するに難くない。頭髪を切り落とすなどということは、「身体髪膚これを父母に受く。あえて毀傷せざるは孝の始めなり」という『孝教』の教えに背いて、親から受けた大切なからだを傷つける親不孝以外の何ものでもない。

 それに、出家することは、親や妻子を捨てることである。儒教社会では、先祖を祭ることが、人の義務であり、道徳の基本であった。この身体は、先祖からの血脈のうちにある。出家は家を滅ぼし、国を滅ぼし、身を滅ぼすものであるという儒教側からの仏教排撃は当然のことだった。

 仏教と儒教の間には、教義上さまざまな論争が繰り広げられた。その一つに六朝時代の神滅不滅論がある。死んで肉体が滅びてしまったら、神すなわち精神、霊魂あるいは神明といったものはどうなるか。六道輪廻を説く仏教は、神の不滅を主張し、「怪、力、乱、神を語らず」、あくまでも現世の秩序を第一義に考える儒教は、神滅を唱えた。

 六朝時代を通じて行われたこの論争は、熱烈な仏教信者であった梁の武帝によって、神不滅論の優位のうちに決着がつけられたが、その間には、斉代の范シン(糸へんに眞)の『神滅論』のような注目すべき論難も生まれた。范シンは、仏教の説はでたらめであり、人が死ねば神も滅し、三世などありえないと主張した。

 しかし、もともと仏教は輪廻を解脱することを目指し、その主体は不生不滅であり、生滅する霊魂とは異質のものである。この論争は、仏教本来の思想と矛盾している。「神は形(身体)に即し、形は神に即してあり、二つは離れて存在しない」とする范シンの立場のほうが、むしろ後に禅仏教で展開される身心一如の思想に近いとさえ思われる。

 こうした思想的逸脱の傾向は、阿弥陀仏が不老不死の神を連想させる無量寿と訳されたようなところにもうかがわれる。菩薩や仏を、道家が理想とする真人と訳した例もある。一般に格義仏教といわれる中国初期の仏教では、「空」の思想を老荘思想の「無」になぞらえて理解しようとした。

 

身心の飛翔は可能か

 すでに中国社会では、老荘思想をはじめ、儒教以外にも固有の思想が成熟していた。後漢末の太平道、五斗米道以来、道教も宗教組織を整え、民衆の間に浸透してきた。この両教団は、社会不安のなかでの治病が中心であったが、三国・南北朝時代には、神仙思想の色合いを強め、不老長生を教義の核とする道教教団が成立した。

 不老不死の存在である神仙に対する憧憬は、中国人には根強くあり、古く戦国時代から続いている。秦の始皇帝や前漢の武帝も、熱烈に神仙を追い求めた。神仙思想の集大成である『抱朴子』が編まれた四世紀以後も、神仙になるための薬、金丹を服用し、劇薬成分のために命を縮めた人が多かったといわれる。

 神仙思想は、古代の山岳信仰を受け継いでいる。『史記』の封禅書にあるように、古くから泰山など五岳を中心に祭天の儀礼が行われてきた。『抱朴子』では、道を修め、金丹をつくるには、名山に入って他人との交際を絶つことが条件になっている。そのための入山の方法をくわしく述べている。

 神仙は常人にはない能力を備えているが、なかでも大きな特性は、天にのぼれることである。後漢のころには、天にのぼり空を飛ぶという点がより強調されるようになった。背中に翼がはえている神仙を描いた画像石も残されている。

 空を飛ぶ神々のイメージは、古代の地理の書である『山海経』の神話的世界にあふれている。そこには、人面鳥身、人面竜身、竜身鳥首、人身竜首、鳥の翼をもつ魚など、空を飛ぶことのできる鳥獣の形をした山神が息づいている。これら異形の神々と山々は、どこまで伝承か想像かわからないが、かつて山神が天と交通すると考えられたところから生まれたものらしい。

 魯迅は子供のころ、絵入りの『山海経』を宝物のように大事にしていたという。おそらく昔から絵本のように流布していたのだろう。ところが、彼は大事な本をどこかへ置き忘れてしまった。その絵が目に浮かんでしかたがない。「人面の獣、九頭の蛇、三本脚の鳥、翼のはえた人間、頭がなくて両乳を眼にしている怪物……」。

 魯迅はそのいきさつを、『朝花夕拾』のなかの一編に書いている。彼が思いこがれていることを知った保母役の女性が、あるとき、その本を買ってきてくれた。雷に打たれたように、全身をブルブルッと震わせながら紙包みを開いてみると、はたして四冊本の絵入りの『山海経』であった。これこそ、「私がはじめて手に入れた、いちばん大切にした秘蔵の書物であった」という。

 魯迅が夢中になったのも無理はない。子供の心の世界は、少なくとも大人よりも神話的世界に近いから。ユングが東洋の思想にひかれたのも、そこに夢と思想が不可分の混沌とした世界が広がっていたからだろう。

 かつて神仙の飛翔は、夢ではなく現実のものでなければならなかった。夢とは、心の飛翔にほかならない。身体は失墜する。

 そこで、身心一如の飛翔は可能か。迷いから悟りへ、病から治癒へ、夢から大いなる目覚め、大覚、正覚、無上正等覚へ――。

 ブッダとは、覚者のことであった。外来の思想だった仏教は、やがて中国の大地に根ざした進展を見せる。

       
  山海経挿図 山海経挿図  
       
 
山海経挿図
 

 

身心一如を体現して生きる

 仏の本質と身体を考える場合、法身、報身、応身の三身説が一般的である。

 法身は、宇宙の法を人格化し、真理の体現者としての仏身をいう。毘盧遮那仏や大日如来など。報身は、過去世において衆生を救済するための菩薩としての修行や誓願が成就し、その果報によって仏となったもので、阿弥陀仏や薬師如来など。応身は、釈迦のように、特定の時代や地域、相手に応じて現れた仏である。これに、化身、すなわち観世音菩薩のように種々の姿をとって衆生を救済する仏身を加えて、四身説とすることも多い。

 これら三身説、四身説は、アサンガ(無着)、ヴァスバンドウ(世親)など、五世紀のインド大乗仏教の代表的な思想家たちが説いたため、内外に広まった。

 しかし、唐代以降の中国仏教、とくに禅では、「即心是仏」という言葉に表されるように、この身が仏たるかどうかが肝心なのであって、学僧の分類はあまり意味をなさない。心と仏をめぐって行われる問答と実践がすべてで、教説を敷衍する理論をつらねることは、何ほどのことでもなかった。

 ダルマに始まる禅の流れは、六祖恵能に至って大きく転回する。貧しかった恵能は、辺境にあって柴を売って暮らしていたという。読み書きができないにもかかわらず、五祖弘忍の門下の千人以上をさしおいて、法を授かったとされる。その伝記は後人の創作だろうが、形式的な修行や学問に頼らず、一介の田舎者が大悟し、法を嗣いだところに禅仏教の進む方向が示されている。虚飾を徹底して排した、いわば裸一貫の仏教である。

 さらに、馬祖道一や臨済が出るにおよんで、道は日常の行為のうちにあり、「平常心これ道」とされる。そして「著衣喫飯(じゃくえきっぱん)、あ(尸に阿)屎送尿(あしそうにょう)」、服を着て飯を食い糞小便をたれることだ。雲門は、「如何なるかこれ仏」と問われて、「乾屎けつ(木へんに蕨の草かんむりを除いたもの)(かんしけつ)(糞かきべら、または乾いた糞そのものをいう)」と答えた。

 この境地が仏教といえるのかどうか。だが、ここには中国民族の言葉、それも口語で表された究極の宗教的、いや人間的表現がある。そこに、私はあえて身心一如の飛翔を見たいと思う。そうすれば、臨済の「随所に主となれば立処みな真」という有名な句が、歓喜の歌のように聞こえてくるからだ。

 ここまで行きつくと、道元の「心とは山河大地なり、日月星辰なり」(『正法眼蔵』第五「即心是仏」)という声も、近くに聞こえるようだ。心が仏であってみれば、もはや身体も仏となろう。身心一如の仏である。

 ただ身心一如は、なにも禅の十八番ではない。唐代に隆盛し、弘法大師空海が体系化した密教では、身体、言葉、心の三種の修行による「即身成仏」を説く。

 私たちの心の根底は、身体と深く結びついている。仏教をはじめとする東洋の思想は、そこに根をおろしている。現代の心身医学が東洋思想に接近するゆえんである。

 維摩は、「一切衆生が病んでいるので私も病む」と言った。もとより、身心一如の思想は、万病に効く薬ではない。しかし、処方しだいでは良薬となることもあるだろう。

 いま、子供の世界まで病は深くおよんでいる。ちょっとでも違うもの、異質なものを排除しようとする傾向のなかに、肥満や不潔などの身体的特徴も含まれている。デブとか、バイキンとかいうレッテルを貼って仲間から除外することによって、同一性とつながりを確認しなければならないところまで来てしまっているのだ。

 唐代の禅者は、一人ひとり姿も年恰好も、言葉もふるまいも違った。空海はインド固有の神や獣もとりこんでマンダラ的世界を提示した。

 せめて子供たちが、魯迅が『山海経』の異形の者たちにあこがれたように、何か心を飛翔させるものを見つけてくれたらと願う。

 泉州の開元寺では、かぼそい腕と華麗な鳥の翼をもつ女性、飛天が天井を泳ぐように飛んでいる。仏教の名刹に、飛翔する天女がいてもいいのだ。


◆参考文献
池見酉次郎『続・心療内科』中公新書
柏木哲夫『死にゆく患者の心に聴く』中山書店
柏木哲夫「日本のターミナルケア」『イマーゴ』第七巻第一〇号 青土社
窪 徳忠『道教史』山川出版
「山海経」『抱朴子 列仙伝 神仙伝 山海経』平凡社
柳田聖山「禅語録」『世界の名著』中央公論社
柳田聖山「神と仏」『仏教思想史1』平楽寺書店
道端良秀「中国における仏教と他教との対論」『仏教思想史2』 平楽寺書店
魯迅「阿長と『山海経』」『魯迅作品集』竹内好訳 筑摩書房

――CEL44号掲載(大阪ガス エネルギー文化研究所 1998年3月発行)

Notes: 折々のメモ
Works: 過去の仕事